死は必ず皆に平等に与えられます。
人によって早いか遅いか、それは様々です。
現代の人々の死に対するイメージはマイナスな感情面が圧倒的に多いです。悲しみ、辛さ、損失感、恐怖、そして、死んだ先の世界のことを知らない者にとっては恐怖感が強い。
自分はなくなってしまうのだろうか
自分はどこにいくのだろうか
そんな考えを持っていると思います。
「死ぬのが怖い」
なぜ、そう思うのでしょう?
死んだ後、自分がどうなるのかわからないから怖いという感情があると思います。人は先の見えない事象に対して恐怖感を持つ特性があります。これは人間の癖のようなもの。
死に関しては、癖づけられているといった方が当てはまります。昔から。
日本の死についてのイメージは主にどういったものがあるでしょうか?
自然の流れ、自然の摂理、悲しみ、辛さ、恐怖、天国、地獄など
日本はある時期から仏教の影響で死についての概念が変わってしまった
では、世界では?世界の主は?
自然の流れ、悲しみ、辛さ、恐怖までは日本とほぼ一緒ですが、海外では死は終わりという考え、復活再生の為の一つのイベント、自分がなくなる、無になるというイメージが強いです。特に「終わり」という考えが強いように思います。
世界5大宗教とその死の考え方
なぜ、世界ではこんなにも死に対するイメージが違ったりするのでしょうか?
答えは「宗教」です。
この宗教が死に対するイメージを変えさせているのです。
世界の宗教とそれぞれの死に対する考えや教えを挙げます。
世界5大宗教(発祥地と死の考え)
世界5大宗教 | 発祥地 | 死の考え |
---|---|---|
1.キリスト教 | パレスチナ(ローマに移る) | 死んだ後はイエス・キリストによる最後の審判を受け天国か地獄に行くのかを決める |
2.イスラム教 | アラビア半島メッカ | 魂が身体から一時的に離れ最終的に再生復活する(アッラーが決める) |
3.ヒンドゥー教 | インド | 輪廻転生、死は穢れであり、火によって天に昇る事ができる唯一の方法。生前の行いの結果(カルマ、業)により転生後の新たな生がもたらされる |
4.仏教 | インド | 命日から49日の間に来世が決まるとされている。この来世には六道(天、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄)があり、いずれかに決まる。 |
5.ユダヤ教 | 古代イスラエル | 死後の世界という概念はなく神の審判の日に魂が復活する |
3番目に無宗教が多いですが、歴史的視点での5大宗教は上記となります。この無宗教は現在、急増中だそうです。
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教は同じルーツを持つ一神教である。
キリストの神→天地創造主である三位一体の神
天地万物を創造した父なる神、人類を救う子なる神(イエス・キリスト)、教会に生命を吹き込む聖霊
この三位(さんみ)は個別の働きをするけど、一つの神として考えられている
イスラム教の神→アッラー
ユダヤ教の神→ヤハウェ
後々、この宗教間で争いが起き、現代までずっと続いている。
古来の日本は神道が中心であり、八百万の神々という考えが根付いています。一つの神(一神教)でなく、多くの神(多神教)です。
仏教とヒンドゥー教は共にインドが発祥地でありますが、思想や戒律に違いがある。
なぜ、地球ではこのような異なる思想があるのでしょう?いつから?何の為に?
歴史をみれば、争いの元は宗教。宗教論者たちは、この宗教戦争によって何の関係もない人々の命が亡くなっているのに止めることをせず、神に祈りを捧げようと唱えているわけです。
なぜ、何の疑問も持たないのでしょう?
命を尊ぶ心があるのならこの宗教戦争を終わらせよう、争いの元となる考え・思想をなぜ改めないのでしょう?地球の人々皆が幸せになる道を作ることが最優先なのに。
もし、神を信じて、そこに神の使い、神のお告げを告げる者が存在するのなら争いなんてさせませんよね。この神の使いは人々に争いを止めさせるよう説得するのではないのでしょうか?
宗教の一番上に存在するのは神であり、神の使いである使者が存在し、この使者が信者に対して神のお告げを伝える。
ヨーロッパの歴史において、王なる立場でも教皇には逆らうことができません。教皇は教会のトップであり、神のお告げを人々に説く役割を持っているからです。王様といえど、神に背くことは許されず、神が絶対であるという考えが昔から根付いています。
宗教信者の裏にいる者たち
宗教戦争が起きてきた事実。現在もなお続いている事実。神は同じ種族同士が争えと本当に言っていますか?その使者は本当に神の使いですか?歪められていませんか?騙されていませんか?
心の弱い人間はそうやって付け込まれる。利用される。何の疑いも持たず、そっくりそのまま信じてしまいます。
この宇宙には多様な種族が存在しており、この地球は昔から様々な異星人が介入してきた裏の歴史があります。それは、政治、宗教、戦争、科学などの場で。地球で起きている問題は地球人だけがした事ではなく、悪い異星人が介入した場面も多々あります。もちろん、友好的な異星人や良い面でサポートしてくれている異星人もいます。
彼らはテレパシー能力で人の脳に念を送ったりができるので、そういった能力を持っている方は彼らとコンタクトが取れるわけです。能力を持ってなくても特定の人に念を送り続ける事でその人を操ったりもできる。しかし、これは悪質な異星人がやる行為で、操れる者と操れない者が存在します。ネガティブ感情が強い人、負の感情が強い人は操られやすい。負の感情は怒り、憎しみ、苦しみ、悲しみ、自己嫌悪など。彼らはそういった人を逃さず、徹底的に貶め、自分側に引き込んだりするのです。
大勢の人々を彼ら側に引き込む最も有効的な手段が宗教です。宗教に引き込み、信者とさせ、繋がりを持たせる。パイプを作るわけです。一番有効的な手段。
悪い異次元の存在が脳の思考に念を送り、あたかもそれが真実のように思い込ませ、その思い込ませた内容が実際に起きるとその人は信じてしまうわけです。
自己を持たない、自分の事がわからない、そのような人は彼らにとって非常に操りやすい。
死とは
死とは何なのか?死んだらどうなるのか?
まず、人とは。これを理解する必要があります。以前の記事で詳しくご説明しました。
人は、
神体(宇宙エネルギー)
靈体(異次元のエネルギー体)
肉体(現次元の生命体)
この3つが重なり合って存在しているもの。どれが欠けても今己はいない。
肉体がもしなかったら異次元生命体であり、現次元には存在しないものとなる。
それを死ぬという。
現次元=物質世界(今の地球)
異次元=精神世界(物質世界ではない、魂の世界)
私たちは地球(現次元)で生きているので地球上での体がなくなれば異次元の生命体となる。
生きるというのは現次元の生命体があって、異次元の靈体があって宇宙のエネルギーである神体がある、この3つがあって存在できている様。
これを”生きる”という。
では、我々の本質は何なのか?
”靈体である”が答え。
異次元生命体であるということが己の本質。物質世界でたくさんの経験をする為に体がある。この体(肉体)は、靈体(異次元のエネルギー体)と神体(宇宙のエネルギー)をまとっており、どれも欠けてはいけない。
肉体を失えば異次元の生命体となり、現次元界には存在しない者となる。
死ぬとは、肉体を失い、現次元の生命体でなくなること。
人の本質は靈体(異次元のエネルギー体)なので、死は本質に戻るといった考え方もできます。
しかし、自らを殺める行為は最もやってはいけない行為であり、死んでからも自らを殺めてしまった時の行動を繰り返しずっと見続けているそうです。つまり、現次元界に囚われ続け、成長が困難になってしまうのです。負の念に囚われ続けるので、その解消をしないと次の世には行けない。外部からのサポートが入らないとそれは難しい。
人は何かと考えるならば、肉体、靈体、神体が重なりあっている様であることしっかり理解する。
最後に
私たちは皆、生死を繰り返しています。その過程の様々な経験やその中で芽生える感情は共に魂に刻まれ、どんどん成長していきます。人を幸せにした経験、人を傷付けてしまった経験も魂に刻まれ、少しずつ己を成長させていきます。
人を傷付けてしまった行動を良い行為とはいいませんが、人生の中でそれも一つの経験となります。人を傷付けてしまったのなら誠心誠意ひたすらに謝る。心から謝る。面と向かってそれができない状況なら心の中で謝り続ける。
もし、自我が強く目を背ければそれは因果となり、自身の成長の妨げにもなってしまいます。因果は魂に刻まれるので、来世、来来世と続きます。これを業(ごう)、カルマといいますが、因果の解消はどんどん難しくなっていくでしょう。やはりその時に素直になって謝る事が大事。素直が一番。
現代では死は悪いイメージとして考えられていますが、死がなければ人は魂レベルで成長しません。死が悪いイメージとして捉えられているのは、なぜなのでしょう?いつから?なぜ、国によって考えが異なる?
この疑問も真実を読み解く上で大切なキーポイントとなります。
私は小さい頃から死に対してあまり恐怖心はありませんでした。何が怖いか。それは、悔いです。悔いを残すのが一番、嫌です。だから、今生では好きな事を我慢せず行い、楽しいことをしながら沢山のことを学び、今生の私ができる事、そして、私として生まれた環境で悔いを残さない人生を送ります。
次の世の為に。来世の為に。感謝を忘れずに。