ドラゴンボールZのエンディングテーマ『僕達は天使だった』の歌詞の意味と日本人との関係

僕達は天使だった 社会

ドラゴンボールの曲で一番といっていい程、私にとって心に響く曲がこの『僕達は天使だった』です。
イントロで”Angel”という歌詞が入ります。Angel=天使の意味で、小さい頃はドラゴンボールに天使?と疑問に思っていました。アニメーションでも悟空に大きな翼が生えた姿が描かており、それを悟飯が追いかける。悟空があの世にいき頭に輪っかが生えたから天使の姿なのかなと思っていましたが、ずっと違和感を抱いたまま、その疑問は大人になるまでずっとありました。

この『僕達は天使だった』のメッセージ性や「To my friends」とは誰なのか?

私が幼少期からこの曲のタイトルと歌詞についてずっと疑問に思っていたことやその疑問の答えがやっとわかったこと全てを当コラム記事にかいていきます。

僕達は天使だった

Angel, angel, angel
Angel, angel, angel Ha-ha
時に埋もれた記憶の彼方
そうさ僕たちは天使だった
空の上から愛の種を撒き散らしてこの星から悲しみ消したかった
ねぇ広いBlue Sky 見上げていると勇気が湧かないか 今でも
To my friends 背中の羽はなくしたけれど
まだ不思議な力残ってる
To my friends 光を抱いて夢を見ようよ
ほら 君の瞳に虹がかかる

街に汚れたと君は言うけど
今も透き通る涙がある
雲の広場で缶蹴りして月を滑り
ハートの矢で人を恋に落とした
そう描くVision 現実にする
魔法があったんだ 本当さ
To my friends 明日を信じていれば
この砂漠も楽園に変わる
To my friends 傷つき そして学んでゆこう
今 愛の蕾が胸で開く

To my friends 背中の羽はなくしたけれど
まだ不思議な力残ってる
To my friends 光を抱いて夢を見ようよ
ほら 君の瞳に虹がかかる
Angel, angel, angel
Angel, angel, angel Ha-ha

歌詞の特徴と意味

この曲には愛と優しさ、悲しみの中でも私達には元々備わっているパワーがあり、何かが起こったとしても空を見て勇気を出して。見守ってくれている存在がいるから大丈夫だよと言われているような愛に溢れた曲です。テンポの速い曲ではなくエンディングらしい曲調とテンポ感の中でとても大切な事を私たちに伝えようとしてくれています。

影山ヒロノブさんの愛や力強さのある歌声がさらに曲全体を包み込んでくれている。最高のエンディングテーマです。

天使といえば、聖書や聖典に登場する人物たちを思い浮かべます。しかし、天使という本当の正体を知り意味がわかるようになりました。過去に天使と悪魔の正体についての記事をかかせて頂きました。

天使というのは天の使い。天とは天国ではありません。日本ではお天道様(おてんとうさま)という言葉があります。このお天道様は一般的に太陽のことを表しますが別の意味もあります。天は空、空は宇宙(そら)。宇宙(そら)は宇宙(うちゅう)。天使というのは宇宙の使い。すなわち、異星人たちのことです。神々しい存在でも神格化するような存在でもありません。地球人と同じ生命体です。聖典聖書は神格化されて描かれていますが、実際は異なります。神格化をする理由は悪い異星人が自分たちを信仰の対象にする為もしくは地球人が人々を先導させる為に作ったキャラクターになります。

異星人は目的を持ってこの地球に到来した者もいます。善悪含めて。地球を良くしようとする異星人のことを天使と捉えるとその反対は悪魔です。

この事実を知って、「僕達は天使だった」の意味がわかるようになりました。「To my friends」とは一体誰なのか。そして、日本人との関わり。

地球に人類が住まうようになった経緯と目的

以前にもこの見出しの記事をかかせて頂きました。本編に行く前に少しおさらいをします。

・地球という星が注目されている理由
・宇宙や地球の歴史
・天使の役目

宇宙から見て地球は特別な星です。なぜ特別なのか?

宇宙の星々には多種多様な生命体が住んでいます。ヒト型、爬虫類型、昆虫型、それぞれの種の型を科学的に操作して生まれたハイブリット型など。

そして、これらの異なる生命体同士で衝突が起き、異星間で争いが絶えなかった歴史があります。地球で戦争が行われてきたように何十、何万年前も昔から異星間同士でも同じように争いをしていました。

地球に人類が住まうようになる遙か昔からどの星の住人も皆、同じ歴史を繰り返してきています。生まれ変わってもまた争い、生まれ変わってもまた争い、そういった歴史がずっとずっと続いてきた。その中でも争い事を好まない良き魂を持つ生命体や穏やかに静かに自分たちの好きな事をして過ごす生命体もいます。

最初は良き魂を持っていたが、悪い異星人にそそのかされ悪い心を持つようになった者たち、力によって犠牲になった者たちがたくさん存在します。

そこで高次元の存在たちは生命体がこの醜く悲しい歴史を終わらせる為に実験として異なる人種たちの生命体、魂を地球に送り、和すことができるかどうか見てきました。良き魂を持つ者、悪しき魂を持つ者がこの地球に同時に混在しているのはそういった経緯があります。

実験というとあまり良い響きには聞こえませんが、これは宇宙の生命体の魂レベルを向上させるという目的があって行われてきたのです。

地球に生まれる者たちは各々で何かを決めて生まれてきています。

3次元の地球でたくさんを経験し魂の向上を目的とした者
地球の次元向上の手助けをしたくて生まれた者
地球人として生まれ真実を世に伝える為に生まれた者
高次元存在から真実を世に伝えてほしいと使命を授かった者
狂ってしまった地球を元に戻そうと生まれてきた者
地球のエネルギーを良い方向に持っていく手助けをしたくて生まれた者

この地球にはそういった目的や使命を持って生まれた者たちが存在しています。

そして、私たちは地球で生まれ、当たり前のように生きていますが、実は地球で生まれる前はどこかの星で生まれた魂がほとんどです。転生を何度も繰り返し、魂を成長させる為に地球に生まれている者がほとんど。個人の魂のレベルを上げるために生まれた者や地球のサポートをしたくて生まれた者の両者にとってもこの地球は魂のレベルアップに欠かせない場所なのです。

この実験の星、地球にあらゆる生命体を送り、果たして和すことができるのか。
この地球が宇宙から見て特別といわれる所以、魂の向上の為に高次元のサポートが入っている所以、そして宇宙中の生命体の注目を浴びている所以はそういうことになります。

宇宙のエネルギーである神の意志は「和合」を目的としています。この地球には唯一、「和の国」と言われている国がありますね。そう日本です。

なぜ、日本が和の国と呼ばれているのでしょうか?
なぜ、日本だけが他の国々とは全く異なる文化を持っているのでしょうか?

勘が良い方はもう分かるかと思います。

日本が昔からサポートの対象になっているのも宇宙の歴史に繋がるものがあります。

宇宙の個々の惑星に住まう生命体は通常、1種類・2種類がほとんどで、多種多様な生き物が生息している環境は普通ではありません。地球人は様々な異星のDNAを持ったヒト型の生命体として成功したことになります。以前、地球人はどこからきたのかという記事を書きましたが、地球人は環境に適応できる猿をベースに宇宙中のあらゆる生命体のDNAが組み込まれたハイブリット型種になります。

なぜ、地球の人々は様々な特徴や性質・性格に分かれているのか。4種の血液型、内面性(ポジティブな性格、ネガティブな性格)、顔の特徴、髪色、目の色、骨格、手足の長さ、不思議に思いませんか?

決して当たり前なことではありません。人々が少しずつ違って見えるのは、地球人が様々なDNAの組み合わせでできているからこそのもの。

DNA的には成功しましたが、魂の部分では成功したことにはなりませんでした。地球人は何度も何度も争いを繰り返し、当初良き魂を持って生まれた者や地球を良くしようと生まれた者も次第に地球人の悪いエネルギーに飲み込まれてしまい、結果として異なる生命体同士の和合を通して魂の向上を図る目的を果たすことができませんでした。

本来の日本人と使命

「日本人」の性質は世界の国々と比較すると大いに異なります。それは教育の分野が関係していることもありますが、魂がある目的を持って日本に生まるケースがあります。

因縁因果、善悪を含め必ず理由があってその国に生まれています。生まれる前に”何か”を決めたもののその社会の教育や洗脳、風習、癖によってほとんどが忘れてしまっています。思い出す者、思い出さない者、感じる事ができる者、できない者が別れるのもその人の魂次第です。

本来の日本人=現代の日本人というとこれは正解ではありません。DNAの話になりますが、「日本人」とはある時期に大陸から到来した人々と元々いた古代の人々が混ざった人種が今の日本人です。残念ながら、この歴史も侵略と争いの歴史になります。元々いた古代の人々は何万年もの間、平和を築いていたものの、突然、侵略されてしまうことになってしまいました。

現代の日本人の中にも昔から縁や血の繋がりによって悪い魂と繋がっている者もいます。

DNAだけでその人を判断するのかといえばそれは違います。少なからず影響はしていますが、DNAは地球の歴史・人類の歴史においては重要ですが、魂の部分において必ずしも重要視されるものではありません。(DNAと魂の繋がりは関係しているものの少し複雑な話になります。)

日本は地球に人類が住まうようになってからこれまで神や高次元の存在たちのサポートが入っている国です。長い歴史の中で日本にはたくさんの危機が訪れました。しかし、彼らのサポートのおかげで日本はいくつもの危機を脱する事ができました。日本ができたのも彼らの意志になります。
昔から日本にいた古代の人々は真の神に感謝をし、宇宙や地球、太陽、自然森羅万象と調和をして生活を送っていました。争いは好まず、日々に感謝をして助け合いながら生きる。自然と対話することができていたともいわれています。

しかし、残念ながら平和な生活が脅かされてしまいました。それでもなんとかサポートのおかげで日本という国は存続できています。それをわかっていて壊そうとする者たちが実は大昔から存在するのです。

本来の日本の役目、日本人の使命とは神や高次元存在が目的としている本来の「調和」を世界の人々に教えることです。これは日本人にしかできないことです。本来の調和とは真の神(宇宙、地球、自然森羅万象、生命(いのち)を司るお仕組み・エネルギー)に感謝をし、繋がること、その上で自分以外の他人とを持って接することです。

古代の日本人が日々の生活で当たり前にやってきたこと、これは地球が目指す姿です。そして、より高度な技術や文化を広めるのも日本人の役目。これからの日本は今よりもっと世界から注目を浴びる国となってゆきます。世界を引っ張る国になってゆきます。調和を掲げ、世界を和合させてゆくのがこの日本。日本人の役目。これが真の神や高次元存在たちの願い。

なぜ、日本人がそういった役目を持っているのか?

神や高次元存在たちの目的は「和合」といいました。地球に人類が住まうようになった時にこの使命を授かって生まれたのが日本人(古代の日本人)だからです。日本人のDNAには異星の平和的な種族の血が流れています。異なる生命体が和すことを目的とする上でそれを引っ張ってゆく役目を授かったのが日本。

それを知った悪い異星人たちはあらゆる手段を使い、昔から阻止してきました。このあらゆる手段とは、ある一部の地球人を洗脳させ自分たちの奴隷や駒にし阻止するやり方やお金を利用して人々を操るやり方などです。よく国の権力者(宗教信者)が天啓を受け、他の土地や国を自分達のものにするとお告げがあったという話があります。あれは異星人もしくは悪い異次元の生命体がその人にインスピレーションを与え、その人を洗脳するというやり方です。こういった手法は本当にあります。

ですが、もう終わりを告げています。彼らはもう地球に関わる事がないよう対処されました。残るは地球にまだ残留している彼らの奴隷や駒たち。最後の悪あがきをしています。

現在、地球規模であらゆる洗い出しが行われています。

日本は文化大国でもあります。日本人の本来の魂・精神性が失われないよう音楽、文化、アニメなどにたくさんのメッセージが込められています。今の日本の教育では教わらないようなことも音楽やアニメなどで知ることもあります。

日本人の使命、役目を理解した上で次の章では『僕達は天使だった』の意味やメッセージ、サビの「To my friends」について語っていきます。

To my friendsとは誰たちのこと?

“To my friends”を直訳すると、「私の友たちへ」になりますね。この「私」と「友たち」とは一体誰のことなのか。この曲のタイトルである『僕達は天使だった』を読み解く上で「僕=私」と「僕達=僕と友たち」を明確化することが肝心です。そして、天使とは誰なのかもポイントになります。

前の章で地球に人類が住まうようになった経緯と地球に使命を授かって生まれた者たちが存在するといいました。この使命を授かった者たちのことを別名:天使(天の使い=宇宙の使い)といいます。

聖書や聖典に神々しく登場するあの天使ではなく、宇宙のエネルギーである神や高次元存在たちから地球の魂の向上を図る使命を授かった生命体が本来の天使という言葉の意味です。その役目を担ったのが古代の日本人。現在は混血していますが、私たちのDNAには刻まれています。そして、魂の部分においても日本に生まれてくる魂たちはその使命を授かって生まれるものもいます。

それを踏まえて『僕達は天使だった』を見ていくと、「僕達」は私たちのDNAに刻まれている日本人を指しており、「天使だった」というのは「過去」のこと。つまり、私たちは「天の使いだったよ」とメッセージを送っているように思います。

曲の歌い出し「時に埋もれた記憶の彼方 そうさ僕たちは天使だった」とあります。遥か昔から続く”時”の中に記憶が埋もれてしまった。そうさ、僕達は天使だった。と歌い出しに持ってくる意味に私は強いメッセージを感じています。

「そうさ僕達は天使だった」は過去のことで今、そのことを忘れてしまっていた状態のことを指しています。

役目を忘れてしまった日本人。全ての日本人とは限りませんが、大半が役目を担って生まれてきていると思っています。自覚を持つ者と全く持たない者が分かれているのも全ての日本人とは限らないという証明です。

この「僕」というのは天の使いという事を自覚しています。その「僕」がサビで天の使いということを忘れてしまった「友たち(To my friends)」に向け「背中の羽はなくしたけれどまだ不思議な力残ってる」「光を抱いて夢を見ようよほら 君の瞳に虹がかかる」といっています。僕という人物は作詞家である森さん、もしくは日本人を応援してくれている見えない存在が森さんを通じてメッセージを送っているかのどちらかになります。森さんがどういう人なのか深くわからないので断定はできないのですが、彼が自覚をしていれば彼のメッセージでもあるという事です。

作品を生み出すものは何かの使命を持って生まれている者が存在します。本人が自覚がない場合がほとんどでありますが。

僕という存在が友たちにメッセージを送っている。僕達は本当は天使(天の使い)だったんだよと。友たちは日本人のこと。つまり、天使だと自覚した僕が日本人たちに僕達は天使だったと伝えている。

悟空と羽の生えた天使の繋がりが全くつかなかったので、ずっと意味がわからない状態でした。ですが、本来の天使の意味を知った上で、この曲が日本人に向けた曲・メッセージであれば納得がいきます。
日本人から生まれたドラゴンボールという作品であること、日本人から生まれた歌詞であることがそれを裏付けています。

僕達は天使だったの歌詞は日本人に向けた願いとメッセージ

これまでを踏まえて歌詞を見ていきます。私が感じたこの曲の願いとメッセージも一緒にかいていきます。

“時に埋もれた記憶の彼方”
遥か長い長い”時”の中に埋もれた遠い記憶の彼方(過去)

“そうさ僕たちは天使だった”
「そうさ」は過去を思い出したということ。「そうさ=そうだった」
僕達は天使だった(地球を良くする為に生まれた天の使い)

“空の上から愛の種を撒き散らしてこの星から悲しみ消したかった”
この星というのは地球。地球は悲しい歴史を辿ってきました。人々は争うことを辞めず、互いを苦しめてきました。そして、人々が互いに苦しめ合ってきたことを地球の意識はちゃんと知っています。地球は毎日、動いています。動いているということは生きているということ。地球も私たちと同様、生命体。きちんと意志を持っています。
私たちの母体であるこの地球は遥か昔から人々の行方を見守り続けてきました。天の使いたちは悲しい想いをしているこの地球(ほし)や人々に愛の種を撒き散らして地球上から悲しみを消したかった(願い)。
もしかしたら天の使いたちはこの「空の上から愛の種を撒き散らしてこの星から悲しみを消したかった」という一番の願いの元、地球に生まれたのかもしれません。

この歌詞には愛と優しさ、他者を慈しむ心があります。

”ねぇ広いBlue Sky 見上げていると勇気が湧かないか 今でも”
そんな天使たち(日本人)は本来の役目を忘れ、この地球上の悪いエネルギーに飲み込まれてしまっている者が多いです。日々の苦しい生活に絶望し、心にゆとりがなくなって、自分の内側と向き合うことをしなくなりました。そうして、負の念が溜まっていき、しまいには人を傷つけてしまう者もいます。
それでも広く青い空を見上げていると、どこからか勇気が湧かないか。今でも。
疲れきった今の自分、本来を忘れてしまった今の自分でも大きな地球の美しい空を眺めどこからかわからないけれど勇気が湧いてくる。この「今でも」には”まだ忘れていない自分”が含まれています。空を見て勇気が湧いてくる者は、内側と向き合う事ができているということ。

”To my friends 背中の羽はなくしたけれど まだ不思議な力残ってる”
サビの初めに”To my friends”を持ってきているということは、友たちに向けメッセージを強調しているということ。友たちに伝えたいということです。
背中の羽とは、自由に羽ばたける鳥の比喩。日本人はいつからか自由を忘れ、”何か”に縛られてしまっている状況です。外的な圧力によって力をもがれてしまいました。自由をかける背の羽はなくしてしまったけど、まだ不思議な力が残っている。不思議な力が眠っています。

よく外国人が「日本人は不思議だ」とよくいっているのを耳にします。彼らからしたら日本人はこの世界で類を見ない人種であり、彼らは自分たちとあまりにも常識が異なるものだから不思議といっている。彼らからしたら日本人は本当に不思議なのでしょう。この不思議というのは日本人の力でもあります。背の羽をなくしてしまったけれど、まだ世界を変える力が残っているよ。

”To my friends 光を抱いて夢を見ようよ ほら 君の瞳に虹がかかる”
(友たちへ)光を抱いて夢を見ようよ!夢を見る事ができた時、君の瞳に虹がかかる
光というのは人にとって非常に大切なものになります。光は眩しく明るいものです。太陽の光ももちろん、見えない明日の明るい光、見えない未来の明るい光を描いて自分の夢を持つことは生きる原動力にもなります。そして強い力でもあります。本来の使命を忘れてしまった日本人、自由を忘れてしまった日本人、力をもがれてしまった日本人に「僕」が勇気を出して一緒に夢を見ようよ!と呼びかけています。「勇気を出して欲しい」と伝えています。

(2番)

”街に汚れたと君は言うけど 今も透き通る涙がある”
街に汚れたは文法的におかしい。おそらく汚れた街のことを指しており詩のように文法を逆転してかいていると思われます。街は汚れてしまったと君は言うけど、今も透き通る純粋な涙がある。「街は汚れている」と「透き通る涙がある」は対比でかかれています。対比でかいているということは、汚れてしまったけれどまだ汚れていないものもある事を強調しています。

”雲の広場で缶蹴りして月を滑り ハートの矢で人を恋に落とした”
雲の表現というとモクモクフワフワ。その上で缶蹴りや月を滑って遊ぶ。その姿は祭りのように平和そのもの。そして、ハートの矢で人を恋に落とした。恋愛的な意味の恋に落とすではなく、明るさや陽気さで人を虜にする、好意を抱かせるという意味。

”そう描くVision 現実にする 魔法があったんだ 本当さ”
「そう=そのように」は前の文のこと。そのように描く未来像を現実にする魔法があったんだ。魔法とは一般的な杖を使った魔法のことではありません。ここでの魔法はビジョンを現実にする意志の力や人を虜にする見えない力、魅力のこと。そして最後に「本当さ」といっています。
平和を築き上げる力、陽気さや明るさ、笑顔で人を虜にする魔法のような力が本当にあったんだよと訴えている。

”To my friends 明日を信じていれば この砂漠も楽園に変わる”
見えない明日を信じることは簡単なことではありません。誰しも見えない明日に対して不安を抱える事が生きていればあるかと思います。不安定な時代な程、その不安は強い。だからこそ信じることは勇気がいることです。何の確証もないけれど、信じることができる人はどこかに強さを持っています。また、「信じる力」は「念の力」でもあります。明日を信じる強い念で乾ききった砂漠も楽園に変える事ができる。信じる強い意志の力が行動に変わり明日を変える事ができる。ここでも対比が使われています。砂漠のように乾ききった場所と楽園のように楽しい場所。明日を信じる力で砂漠も楽園に変える事ができると強調しています。

”To my friends 傷つき そして学んでゆこう 今 愛の蕾が胸で開く”
本来の使命を持って生まれたにも関わらず、天の使いたちはそれを忘れてしまいました。長い時をかけ何度も生まれ変わっているものの地球の悪いエネルギーの影響により思い出せずにいる者がほとんど。気づかないだけであって魂は傷ついています。自分の魂が傷ついているのにそれに気づかない者が多い。しかし、これも学びの1つ。傷付いた自分の魂に気づけるのかどうかも学びの1つであり、それに気づいた時にやっと学ぶ事ができるのです。そうして学んだ先に今やっと蕾が花ひらく。胸の中の愛の蕾が開く。

”To my friends 背中の羽はなくしたけれど まだ不思議な力残ってる”
”To my friends 光を抱いて夢を見ようよ ほら 君の瞳に虹がかかる”
サビは私たちの記憶を呼び出している歌詞になっています。私たちにはまだ力が残っており、傷つきながらも自分の描く明るい未来、光の夢を抱いて勇気を出して欲しいと願いが込められています。
曲の最後にもう一度、最初のサビである「不思議な力が残っている。だから光を抱いて夢を見よう。ほら君の瞳に虹がかかる。」を”To my friends”に伝えています。
これは僕という存在が友たちへ最も伝えたいこと。過去を忘れてしまった天の使い、使命を忘れてしまった天使に向け勇気を与える歌詞です。

この曲の特徴はサビに入る前に過去の話をしています。「そうさ僕達は天使だった」「この星から悲しみを消したかった」「ハートの矢で恋に落とした」「魔法があったんだ」と過去の出来事をかいており、サビで友たち=私たちに向けそれらを思い出させるようなメッセージを送っています。そして僕たち私たちに「力が残っているから勇気を出して欲しい」とひたすらに伝えています。

この曲で”To my friends”は大切なフレーズです。友たちへ向けた大切なメッセージ。
本来の使命を忘れてしまった日本人(友たち)に向けて、僕という存在が伝えたい大切なメッセージ。

さいごに

『僕達は天使だった』の歌詞を読み解く上で「天使の存在」が重要になってきます。天使の本来の姿とは聖書に登場する神格化された人物たちのことではなく、天の使い→宇宙の使い。すなわち異星人のこと。私たちと同様、生命体です。本来の天使という言葉の意味は地球に真を伝える命を授かった天の使い。少しずつ解釈がずれていったか、もしくは悪い存在たちが自分たちのいいように作り変えたもの。

古代の日本人は地球に真を伝え、世界を和合させる命を授かっていました。その為に地球に生まれました。真とは、魂のあり方です。神に感謝をしながら日々を生きるということ。神とは宇宙・地球・自然森羅万象・生命(いのち)を司る仕組み・エネルギー・顕れ

地球人類の起源は猿と異星人とのハイブリット種と前回の記事にかかせていただきました。異星の魂がこの地球に転生をし、地球での肉体を持って生まれました。地球には様々な異星の魂が転生をしています。靈性低き魂から靈性が比較的高い魂まで。古代の日本人は靈性高き魂を持っており、調和を目的としていました。そして、それは神や高次元存在たちの願いでもあったのです。

天使=異星人。地球人は異星のDNAが組み込まれていますが、皆が天の使いというわけではありません。役目や使命を授かった者が天の使い。地球に真を伝える命(めい)を授かった天の使い=古代の日本人。私たちの体には彼らのDNAが刻まれています。また、その役目を授かった魂もこの日本に生まれる者が多いです。

『僕達は天使だった』は私たちの忘れてしまった遠い遠い記憶の中にある本来の使命を思い出し、勇気を持って欲しいという願いが込められた曲だと私は感じてなりません。

ドラゴンボールという作品もまた悟空の本質や性格を通し、好きな事をして人生を楽しむことの勇気を鳥山先生は伝えています。主題歌も全てが勇気を与える歌詞。

幼少期から疑問に思っていたこの『僕達は天使だった』の歌詞の意味。ドラゴンボールと天使がどうしても繋がらなかったのですが、天使の本当の意味を知ることでこの疑問が解消されました。

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