ドラゴンボールという作品が与えたもの〜悟空の精神と現代の地球の価値観を比較して鳥山先生が残したメッセージを読み解く〜

ドラゴンボールの精神 社会

私はアニメ作品が大好きで幼少の頃からアニメを見て育ちました。毎日、何かしらのアニメを見て、幾つもの世界観に夢中になり楽しんでいました。私の中の教えは90%がアニメで残りの10%は両親からの教え。両親から教わった大切なことはたくさんあります。ですが、私の中では90%を占める程思い入れが強く、アニメという作品からたくさんを学ばせていただきました。実際の生活では味わえない体験や感情をアニメを通して学ぶ。正義の心や使命、作品の中でキャラクターたちが様々な経験をして得る感情を見て私も学ぶ。そういったものを幼少の頃からアニメを通して得ていました。その中でもとてもとても心揺さぶられたアニメがドラゴンボールでした。小さい頃は体の中のエネルギーを氣に変えて放つ気功波や舞空術の世界観、サイヤ人のかっこよさに憧れを抱いて見ていました。学校でも友達とドラゴンボールごっこをしていたのを今でも覚えています。

大人になるにつれて次第に作品の意味やメッセージ性を感じ、わかったこともあります。私が今まで見ていた作品たちを大人になって見るとまた違った視点から見ることができる。その時にやっとアニメの素晴らしさを感じられた気がします。この作者は何を伝えたいのだろうか、世界の情勢や歴史、精神を学んだ上で見ると、伝えたい事が容易にわかったりします。その時にこの作者はそのことを伝える為に生まれてきたんだと感じることもできる。

誰もが知っているアニメ「ドラゴンボール」の精神、この狂った地球に「鳥山明」という人物が生まれてきた意味や彼のメッセージについて語っていきます。

悟空の精神

私は鳥山明先生が生まれる前から「ドラゴンボール」という作品を生む事が決まっていたようなそんな気がしてなりません。

ドラゴンボールの主人公である悟空について、私が感じた彼の本質と精神を語りたいと思います。

悟空は強くなる為に修行を重ね、強くなってもまだ己の強さをどこまでも追求していきます。そして、努力家です。彼はこの努力を楽しみます。口癖である「わくわくすっぞ」というセリフは何事も楽しむという悟空の心や精神からきているもの。

性格はあまり深く考えることは苦手でいつもニコニコしていて、他人に悪意を抱くことも相手を悪くいうこともありません。「まぁいっか」も悟空の深く考えない性格からきていて、彼自身、深く考えると何もできなくなるからそれよりは前を向いた方がいい、常に前を見続ける根っこの部分から明るいキャラクターそのものです。

敵(悪者)が登場すればまず何でこんな悪いことをするのか尋ねます。その答えによって闘ったり、闘いたくないと言ったり。悪者が現れても悪者=必ず闘う相手ではなく、相手を理解しようと話を聞きます。戦闘好きなイメージがありますが、その中でもちゃんと相手を知る事をしています。私は誰よりも人を想うことができるのが悟空というキャラクターだと思っています。

悪者に対しても何が理由でそんな行動をとっているのか、彼自身が理解できずとも知ろうとする心、相手に寄り添おうとする心は、悪者に対してできることではありません。怒りや憎しみが強ければそのような余裕がなくなるからです。悟空は自分の中の怒りが強くてもその感情を抑え、悪者であろうとその心を知ろうとする、これは決して簡単なことではありません。(クリリンの時は怒りが爆発してしまいましたが、ブロリーのようにはなっていません)

ドラゴンボールのキャラの中で悟空は一番、心の広いキャラだと私は感じます。細かいことが苦手で、天然で、深いことはあまり考えない、何も考えていないように見えるけど誰よりも頭が良く、誰よりも瞬時に判断ができ、誰よりも人のことを理解している。人間がどういう生き物なのか、人間の本質をよく理解している。

悟空はいつも明るく、和の中心にいます。悟空はドラゴンボールの中で皆の光のような存在。皆を惹きつけ底なしに明るい性格であり前向きで人を悪く言わないし、思いもしない。それは人を平等に見ているからです。

自分の強さだけを求めていて他に興味がなく、1つのことを追い求める、強さを追い求める、好きなことを追い求めている。そしていつかその先の追い求めた場所に行きたい、辿り着いてもまだ高みを求める。人の上に立ちたいとか人より強くなって自分の強さを誇りたいとかそういうのではなく、ただ自分の強さを追い求めているだけ。相手と比べようとか一切思っていません。自分の人生を楽しんでいるだけであり自分にストイック。尊敬に値する悟空はとても魅力的なキャラです。

修行の始めと終わりに精神統一の為に瞑想をしています。自然のエネルギーと体に流れている自分のエネルギーを感じること、悟空はそれも修行だと言っています。自然と一体になること。大きな自然のエネルギーを感じ、自分の内なるエネルギー(精神)と向き合う。体だけではなく、内なる精神も強くなってこそ本当の強さを得られる。それは亀仙流の真の教え。悟空が落ち着いているのもそこからくるものだと思います。

悟空は恨みや妬みとは無縁で悪者と対峙しても受け入れる広い心や相手の考えを理解できなくても相手の心と向き合う心がある。それは愛の精神そのもの。悟空の精神は宇宙の愛そのもの。

ドラゴンボールのメッセージ

かめはめ波や元気玉などの気功波は身体の中の「氣」を集めて放つ、エネルギー弾です。鍛錬によって身体の中の氣を感じ、探れるようになる。ドラゴンボールのように氣の塊のようなものを大袈裟に放つのは無理がありますが、「身体の中の氣(=エネルギー)」という点では私たちにも備わっているものです。アニメ作品はそれらをわかりやすく絵で示したもの。具現化したもの。もちろん全部が真実とは限りません。ですが、作者は何かの想いがあって作品に残している、私たちにインスピレーションを与えてくれている、私はそう思います。
この宇宙はエネルギーで出来ています。宇宙の子どもである私たちもそのエネルギーから出来ている。そして私たちの身体の中に巡っている。チャクラという言葉があるように人の体にはエネルギーの集まる場所が何箇所かあります。目に見えないだけであって、本来、私たちの体には無数のエネルギーが存在しています。現在の地球の次元では未だそこまで到達していないので見えない方が多いですが、実際に見える方もいます。生まれ持って備わっている者、成長の段階で見えるようになった者、自然と調和を図り見えるようになった感じられるようになった者、それが特別なわけではなく、全ての生命体、皆本来が備わっているものです。ある理由により見えなくさせられている、もしくは感じられなくさせられている。
宇宙の分子である私たちの中には宇宙と繋がるものがあります。「そんなものはない」「現実的ではない」「あり得ない」と想う方が多いと思いますが、感じることができないだけです。

ドラゴンボールの舞台は地球から宇宙へと変わります。異星が舞台となる話がありますが、宇宙の事情や設定がとてもリアルです。アニメなどの作品を生み出す人たちは過去世で何らかの経験をしている者や見えない誰かからインスピレーションを受け取っています。宇宙事情や宇宙船、キャラクターなど多種多様でリアルです。クリエイティブに携わる方ならわかると思いますが、発想というものは独自の経験や過去の出来事を知らないとそもそも思い付きません。鳥山明先生に関しては他の漫画も世間の情報も調べない方なので、独自で発想し作り上げています。彼は何らかの過去世で得た経験を作品にしていると思っています。そして、地球に作品を残す為に生まれたと。

ドラゴンボールを見て思うことがあります。鳥山先生は宇宙の愛というものを知っており、現次元で生きる上での本来の人の姿を悟空を通して伝えているのではないかと思います。「人と闘う」という部分ではなく、悟空の本質や精神、物事の考え方、人との接し方、自分との向き合い方、そう言ったものを主人公を通じてメッセージとして残している。

宇宙の愛というものは自由で純粋なものであり、精神性を重んじ、調和を大切にするということ。自然も宇宙と繋がっていますから自然と調和をする、自然を想うことも宇宙への愛になります。自由というのは人を傷つけた上で得る自由ではありません。本当の自由とは人の心を大切にした上で責任が伴うものです。悟空は無意識に人を元気にさせ、人の心を大切にし、無理やり押し付けることはしません。

悟空が界王様から教えてもらった技・元気玉は元気の玉、地上に存在する様々な生命(草や花、星々などの自然)から少しだけ元気を分けてもらったエネルギーの集まりでできた玉です。皆の元気を集めて悪に勝つための最終手段。最後は一人の力ではなく皆の力を合わせる。地球の運命を最後は皆で守る。これは現代を生きる何らかのメッセージだと私は思います。

地球の裏では地球存続の為に悟空たちが戦ってきていて地球人は知らない、知るはずもありません。だが、セルや魔人ブウの出現により脅威がメディアを通じて明るみになりました。
魔人ブウ編で元気玉を集めるシーンがありますね。悟空が元気を分けてくれと言っても耳を貸さなかったり、地球が一回消滅したのに何事もなかったように過ごしていたり、無視したり、「騙されるな!」や「怪しい声だった」「これは夢だ」「そんなことしたって何になるんだ」「俺たちには関係ない」と地球人はこのような発言をしてました。ベジータの口調が荒くてもブウに殺されたことや戦士が今も戦っていること、一部始終を心のこもった声で伝えていました。ブウに苦しめられてきたことは知っているはずなのに今までは夢だったんだと疑いもせず、信じようともしない、違和感にも気づかない、皆が自分の都合の良いように解釈していました。

まるで現代の地球人のようだと私は思いました。アニメの世界だけの話ではないと。地球がおかしくなってしまったことに気づかない、現実を見ようとも向き合おうともしない、自分のことで精一杯、だから益々生活が苦しくなってきています。悪い人たちはあらゆる手を使って人々を不幸にしようとしています。ピラミッドの頂点にいる者たちは悪意があって、地球人を苦しめています。誰かがこの事実を発信しても頭がおかしい者扱いされます。

アニメや映画を作る人たちは何かしらのメッセージを作品に込めています。特にアニメは真実に近いメッセージが込められていると私は感じます。漫画やアニメだけは外部からの規制があまりなく、自由に創作することができる。実写の作品はスポンサーの意向や世に伝えてはいけないタブーな事は規制がかかり放送できません。その点でアニメは自由に創作ができていました。(現在は厳しくなってしまった)

ドラゴンボールの世界と現実とを比べてみる

アニメの作者はそれぞれで何か使命を持って作品を作っている。作品を作るのが好きだから生み出すのはもちろんのこと本人のわからない所でこの世の中に何かを伝えるために、生まれる前から決めている者がいます。

鳥山明先生はそのうちの一人だと感じています。彼は宇宙の精神を知っている存在、悟空を見ればわかります。

サイヤ人は戦闘民族で働かず、生活力がないから嫌だとか結婚したら苦労するとかそのような論争を皆しています。地球はお金を稼がないと生活ができないのでお金を稼がない亭主はダメ人間扱いされます。ですが、これは地球の価値観です。他の星々の生活を見るとお金がなくても生活、生きることができる惑星も実際にあります。太古の地球はそういう星でした。ある時から「お金」という仕組みが組み込まれ人々の生活は苦しくなってしまいました。

ドラゴンボールの世界に戻りますが、悟空やベジータはサイヤ人で闘いが好き。強さを求める本能がサイヤ人です。仕事をするために生まれたわけではなく、闘いを通して己を強くしていく。地球の価値観とは合わないのです。人は自分の価値観を押し付ける節があります。その価値観が狭いということも知らずに自分と相手の考えは一緒で当たり前のように話す、その中にもし違う価値観を持っていれば淘汰しようとする者や変人扱いする者もいます。違う価値観を持っている人は萎縮し、本音を言えない、そのように生きている人もいます。

悟空は強さを追い求める=好きなことをとことん追求しています。自然の中に身を起き、修行や精神の統一、調和を図っている。彼の人生はそれが当たり前。そして、自分と他者が異なっていても気にせず、信じた道を走っている。働かないと食っていけない。チチがよく言うセリフです。それも理解できます。しかし、ある時期から地球は「お金」の仕組みができたと先程も述べた通り、地球人は生活の為に働かされているのが現状です。悟空の生き方と実際の地球人の生き方を比較して、何が違うのか追求するのも面白いと思います。

宇宙の価値観と地球の価値観は全く異なります。地球社会はとても生き辛い世の中です。「そのようになってしまった」が事実としてありますが、本来、私たちは自分が好きな事やりたい事をやり、その中で自分を磨くことをする。もちろん他人に迷惑をかけてはいけません。好きな事をして起きる辛い事やりたくない事をして起きる辛い事は全く異なるものです。身体にストレスを与えてまでやりたくない事をするのは、本当に正しいことなのでしょうか?社会にそう思い込まされていませんか?

好きなシーン

ドラゴンボールで好きなシーンやセリフがたくさんあります。その中で1つだけピックアップします。

魔人ブウ編でブウに向けた悟空のセリフです。

「お前は一人でよくやった。今度はいいやつに生まれ変われよ。

ブウは最終的に悪そのものだけが残り、会話もできない殺戮と破壊を楽しむただの魔人になりました。その悪の権化のような存在に対してもそうやって言える心の広さと純粋な心、相手を許す心は全てを理解しないとできない事です。

悪い心を持った人も何かを抱えていたり、過去の教えや出来事から精神が病んでしまった、それぞれ何かを抱えています。ベジータもそうです。王族の誇りや教えを父から教わり、自分は優れた人種だと思い込まされて育ちました。サイヤ人の王としてのプライドから悟空を戦闘力が低い自分よりも下等な存在として扱いました。ベジータにとってはそれが当たり前だった。あのように育てた父王や周りの環境がベジータの内面性を作ってしまった。地球人と関わるようになり少しずつベジータは変化していきます。悟空は地球の優しいじっちゃんに拾われ、たくさんの愛情を注がれて育ちました。

ブウに関しては魔導士によって勝手に生み出されてしまいました。魔導士の野望の為に生み出された存在。悟空はそのことをちゃんと理解していて、生まれたのがこのセリフです。敵であろうとブウが生み出された背景を知っており「お前は一人でよくやった。今度はいいやつに生まれ変われよ。」と言いました。

ドラゴンボール主題歌の歌詞

ドラゴンボールというストーリーの他にも歌にも非常に想いが込められています。幼少期から現在もずっと常々ドラゴンボールの曲からパワーをもらい、自分を奮い立たせています。好きなフレーズとその込められた意味やメッセージを深掘りしていきます。

「夢中になれるものがいつか君をすげぇやつにするんだ」〜WE GOTTA POWER:影山ヒロノブ〜
自分の夢中になること・夢中になるものを諦めずに追い求めた先にいつかはすごい人になっている。ここでいうすげぇとは能力が優れて凄い人になるのではありません。夢中になることを追い求める最中、うまくいかないことがたくさんあります。諦める人もいます。そんな時に諦めずに諦めずに自分を信じて続けること、そうすることですごいやつになる。自分を信じる事は非常に難しいです。自分を信じて続けきれることが凄いことなのです。夢中になれることに対してうまくいかないこともあるけど自分を信じて突き進み、それがいつか君をすごいやつにする。この歌詞を聴いて私はいつも勇気をもらっています。

「何が起きても気分はへのへのかっぱ」〜CHA-LA HEAD-CHA-LA:影山ヒロノブ〜
自分に何か不幸なこと、ピンチなことが起きても気分だけは落とさない、いついかなるときも自分の精神だけは挫けない、自分の気分を落としてしまえば心まで落ちてしまう、だから辛いことが起きても前を見る、いつでも気分はヘノカッパ(屁の河童=何とも思わないこと、問題もたやすくこなすという意味)
ずっと落ち込んでいてもいつかは自分の力で起き上がらないといけません。落ち込んだまま塞ぎ込んだままだと行き着く先はいつまで経っても変わらないままそこに居続けるだけ。人生は自分で切り開くものです。それにはたくさんの勇気が必要です。止まっていてもいいから気持ちだけは前を向く、前を見て走り続け問題が起きてもへのかっぱの気持ちでいる。私はそのようなメッセージをこの歌詞から受け取りました。

ドラゴンボールの原作者や編集者、主題歌を作った方々、主題歌を歌った方々、声優さんも含めこの作品に携わった方々は縁があって何か同じ使命を持って集まった方々だと思います。携わった方々のインタビューを聞くと皆、心の中に熱い想いのようなものを感じます。その幾つもの熱が重なって素晴らしい作品が生まれる。いつまでも続く作品はどこかに熱があります。素晴らしい作品とは画面の綺麗さや動きのクオリティだけではなくストーリ性や見せ方、その作品に熱があるかどうか。画面の綺麗さだけでは、最高な作品とはいえません。

鳥山明という人物

悟空の精神は彼そのもの。鳥山明=孫悟空。ドラゴンボールという作品は鳥山明先生が残した地球人に対するメッセージ。悟空のように伸び伸びとやりたい事をして好きなもの・好きなことを追求する。

また、己と向き合う事がどういう事なのか亀仙人のじっちゃんが教えてくれます。そしていつまでもおごらず自分を高める努力をすること、悟空を通して鳥山明先生が教えてくれたもの。少なくとも私の心には非常に響きました。

いつでも明るく、好きな事ややりたい事をとことん追求する。そして、それに熱中する。鳥山先生の性格がそっくりそのまま悟空というキャラクターに嵌め込まれたようなもので「悟空は鳥山明」そのもの。

彼は連載が始まっても自分の地元を離れることはせず、自分の好きな空間で漫画を描いていました。そして、メカ好きでバイクや車のマニアでもあります。ドラゴンボールやドクタースランプにたくさんのメカが登場します。その絵や質のクオリティはとても高く機械の設定も細かい、そしてどれも多々異なるデザイン性。おまけに絵も本当に上手い。画力はもちろん創造力、デザイン力、アイディア力、ファッション性、どれも衝撃的なものです。「鳥山明」という人物は私にたくさんのものを与えてくれました。

さいごに

ドラゴンボールのファンは国内外問わず今でも子供から大人までとても多いです。その人気は世界一です。知名度も世界一です。なぜ、ファンが圧倒的に多いのでしょうか?ドラゴンボールといえば、力と力の戦闘アニメという印象が強いと思います。もちろんかっこいいとか筋肉がすごいとかの印象もあります。そして、鳥山明先生の画力も凄まじい。アニメ界を代表するワンピースやナルト、銀魂、ハンターハンター、ブリーチなど大勢の漫画家が彼から影響を受けています。漫画家だけではありません。ゲーム界や漫画、アニメ好きのファンの心を掴んでいます。そして、尊敬も。ドラゴンボールの人気は戦闘シーンだけでなく、世界観、見せ方、画力、ストーリー性、悟空の人柄(無邪気で天然、純粋さや)性格、精神の全てが詰まっている。バトル漫画が少なかった当時ではとても衝撃的な作品であったと誰もが語っています。漫画で戦闘シーンのイラストを見ると戦闘の状況がとてもわかりやすく、とにかく上手いです。他の漫画家さん曰く、似せようにも上手すぎて真似ができないと言わせるほど。

ドラゴンボールは戦闘シーンや画力で外見的な素晴らしさを作り、ストーリー性や人柄、性格、精神といった内面的な素晴らしさが心を響かせる要素になっている。そして悟空の精神や愛、自由な性格が理解できない人も心のどこかで何かしら響くものがあるのではないかと私は思います。

鳥山先生は2024年3月1日にお亡くなりになってしまいました。

幼少期から現在でも何度も何度も、ドラゴンボールを見て元気をもらっています。既に幼少期から何度も見ていたので家族から「また見てる」「見過ぎ」と言われる程、何回も見てきました。現在でもそれは変わりません。家族は私がドラゴンボールを見るのはもう当たり前というように口には出さないようになりました。ドラゴンボールという作品は私にはかけがえのない作品です。たくさんの情熱と感動をありがとうございました。地球に生まれてきて下さりありがとうございます。そして、これからの地球をどうかお見守り下さい。

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