私たちはたくさんの経験をする為に生まれてきています。前世で学んだ事、行動してきた事、身につけた事など、全ての行いは魂に記憶されます。
次の生に生まれる時、配慮として前世の記憶を無くしたまま次の世に生まれ変わりますが、稀に前世の記憶を持ったまま生まれる者、途中で思い出す者、なぜかわからないけどこの場所が好き、あの国が好き、食べ物が好き、物が好きと初めて見る行く触るにも関わらず、無性に「好き」という感覚はありませんか?
それは前世、前前世、そのまた前の世で関わりがあった物、人、場所だったりします。全ての記憶は魂に刻まれ、封印されています。
そして、性格、感情、思考といった癖も魂に残ります。ポジティブな性格であれば、前向きな性格。ネガティブな性格であれば、根暗な性格。自分自身を変えるのはそう簡単な事ではありません。長い時間を掛けて諦めずに自分と向き合い、戦えるかが問われます。
以前、死について記事をかきました。私たちは死んだらどうなるのか。どこに行くのか。
今回は自らを殺めたらどうなってしまうのかについての内容となっています。
自死について、神人さんの語って下さった内容を元に私自身の意見も混ぜながらかいています。
神人さん
日本のシャーマン。霊存在、宇宙銀河霊団、高次元の存在と繋がるシャーマン。悪霊や悪い異次元存在と対峙、あらゆる存在を導いておられる方です。
神人さんは以前、親族の方々からの依頼で亡くなった方の成仏のお手伝いをしていたそうです。その時の実際に経験した内容を語って下さいました。
自らを殺めた結果
自らを殺めたらどうなってしまうのか
神人さんは自殺で亡くなった存在と対話をした事があり、それらの統計からわかったこと。
肉体面と精神面からくる要因
自らを殺める原因は肉体的と精神的で分けられる。肉体の場合は病。苦しみから耐えられず楽になりたいからという人。精神的な面では、人間関係、経済的な問題、何もしたくない、無気力の状態の時など。
肉体の場合は病による肉体苦がないので、解放され喜んでいる。楽になれたと。ただ、逆に因縁を生むという事がある。愛する人たちを悲しませるという因縁・因果を生んでしまう。そうすると、肉体苦は亡くなったが精神苦が始まる。本人は解放され喜んでいるが、親族が苦しんでいる姿を見て精神の苦痛が始まるという事です。
精神的な面において、亡くなることで全てがリセットされると思い込んでいる人がいる。すぐにもう一回人生を始めらる、もしくは死んだら何もかもが無になると思い込んでいる人がいる。無にもならなければ、リセットもできない。これが答え。どうなるかというと、死ぬまでの自分の気持ちの移行。そのままの移行。肉体を使えなくなる様。その状態のままずっといることになる。
精神的に病んでしまったまま肉体が使えなくなるだけであり、苦痛からは解放されずその状態のままずっと同じ場所に居続けることになるということ。その時の感情と思考が強ければ強いほど、ずっと変わらない状態のまま。死への感情・思考が強くなった最後の様でそこに居続ける。
肉体的な問題とは異なり自分の思いの部分である精神的な問題の場合では、そこが改善されない限りずっーーーーと同じ想念に留まり続けるているということになる。場所は人によって様々。家かもしれない。どこかの場所。その人が居たいと思う場所。執着のある場所。ずっーーーーとその場所にいる。時というものがそこに留まり、その同じ時の状況をずっと見続けている。異次元というものは時空も混在している世界。100年前であれば、100年前のその世界に留まり続けられるのが靈界(異次元)
現界(現次元)は時間に支配されている世界であり、どんどん変化していく。靈界は変化を求めなければずっと留まり続けることができる。その時のまま。従って、執着が強ければその時に留まっている。
自らを殺めてしまう人の性質
共通していえるのは、自己中心的な存在が多い。自分の思い込みが強過ぎて、「もうそれしかない」という決断をするということ。
それは正しい答えではない。苦しみを乗り越える、解放する為に別の方法、考え方もあるのにその人は思い込みが強いが故に「それしかない」と一線を超えてしまう。死を選んでしまう。その人は他人に何かを言われたとしても聞く耳を持たない、共通して。
「あなたにはわからない、私の気持ちが。」これで終わる。聞く気が無い。それは生きている時から同じであったかもしれない。その人を心配する人の声は届かない。受け入れようとしない。これは共通していえること。ざっくりというのならば、思い込みが強く、自己中である。なので、他人から何かを言われても「それしか無い」と判断してしまった結果。
では、どうすれば良いのか。
救える唯一の方法
一番、悲しむ人はその人を愛してくれていた人、家族や友人、恋人。どうにかしてあげたいと思う人は結構いる。
唯一、個人を救うことができるとしたならその個人を愛している人だけ。自分のことを愛してくれている人の言葉を聞こうとする、恐らく多くの人は。愛していない者の言葉は一切聞こうとせず、心を閉ざす。その想いがものすごく強い。そのような人は価値観が非常に狭いから一切、聞こうとしない。その自分を受け入れて自分のことを大事に思ってくれる人の言葉しか聞こうとしない。
だから、その人のことを救いたいと思うならば、その人のことを本当に愛している人が救い主。
救い方は責めることなく話しかけること。カウンセリングと同じ。優しい言葉で愛を持って嫌味なく、昔話をすることでも、今日の出来事を話すでも、個人とは異なる良いおもしろおかしい良き想念の話題をずっと伝え続けることでもいい。「こんなことあった」「あんなことがあって面白かったね」「今日こんなことがあったよ」「それでこう思ったんだ」何気ない会話でも良いから話をすること。
これがヒーリングになる。靈的ヒーリング。浄化に繋がる。焦らず押しつけず、ずっと淡々とゆっくりと良きエネルギーを伝え続けていく。楽しい話をする事で、生きるという希望を与えることができる。ポジティブなエネルギーを促すことができる。
今を生きている人も然り、人はポジティブなエネルギーがあってこそ、生きる原動力、頑張れる原動力になる。
自分の事を愛してくれている者の声は唯一、入っていく。それが相手の心を広げ、柔らかくし、視野を広げていく環境を作ってあげることに繋がる。それが唯一できること。その方を愛している者だけ。
神人さんが自死を選んでしまった様々な靈たちと関わって、よくわかったこと。救える者と救えない者がいる。他人である為に初めから受け入れない者(靈)は受け入れない。
愛している人が長い時間を掛けて対話をしていき救えた者は霊人となって靈界に戻っていく。
近親靈となって側にいる者、生まれ変わる者、視野を広げる為に様々な場所にいく者もいる、それは皆が同じではなく、個体差がある。
人は苦しみの渦中にいる時、愛する者の声しか聴くことができない。亡くなられた後だけではなく、生きている時も同じかもしれない。
最後に
残念ながら日本は自死率が多いです。それは日本人の優しく、生真面目な性格からくるものなのかもしれません。しかし、優しさというのは同時に強さを兼ね備えているものです。本当に優しい人は強い人でもあると私は思います。”相手が悲しい思いをするからそういう行動を絶対にしない”と思うのは優しい人でないと思わないと思うからです。常に相手のことを思っているからこそ悲しい思いは絶対にさせないと努めようとする。
この社会は残念ながら冷たい社会になってしまった。それでも辛くても生き続けている人は沢山います。辛い時だからこそ、視野を広く持ち、人と関わり、自然を感じることが問われます。
人とたくさん話をすることで元気になれる、色々な場所に行き元気をもらう、自然のパワーから元気をもらう、人によってそれは様々です。とにかく、自分以外の者と関わること。
自死を選んでしまえば、負の想念に取り憑かれずっと同じ時のままそこに居続ける。それは、自身が成長しないということです。辛いと思っているのは自分だけではなく、他にもいること。そして、人と比べて自分を嫌悪したり悲しむこともしなくていい。ありのままの自分を愛す。ネガティブな感情がどうしても抜けなくてもそれを愛してあげる。陰と陽は表裏一体。どちらも成長の為には欠かせない者だからです。ネガティブな感情が自分に巻き付いているのならそれを取り払う努力が一番大事です。
同時にこの社会、日本が古来の日本のように優しさと愛で満ち溢れた場所に戻れるのが願いでもあります。もう今までの時代は変わり、良き時代へ近づいています。今、辛いかもしれませんが明るい未来が待っています。諦めないで共に乗り越えましょう!